INTERVIEW
代表インタビュー

代表取締役 高橋 奈央
高橋社長に経歴と仕事への思いについて話を聞きました。
本日はよろしくお願いいたします。

はい、よろしくお願いします。出身は島根県で、高校を出て18歳で島根の工場に就職したのが、はじめての仕事です。仕事内容は製造ラインの試験みたいなのをしてました。
高橋社長のキャリアのスタートは、島根県の工場だったのですね。



そうなんです。でも、実は…入ってすぐにクビになりかけたんです…。友達と一緒に入って、慣れたらダラダラしちゃって、仕事をなめてました。お金さえもらえればいいと思って、態度も悪くて最悪でした。
それは意外です。社会人として大きな壁に直面されたのですね。



そうですね。。でも、クビになりそうになって、はじめて危機感を覚えて『ここで頑張りたいんでお願いします!』って言ったら、その時の上司が別部署でチャンスをくれたんです。本当に感謝してます。そこではじめて仕事の大切さを教わりました。その上司のおかげです。
とてもいい上司に恵まれたようで羨ましいです。



はい、とてもいい方で今でもお付き合いがあります。その出来事があって、仕事って大事だなって実感しました。その上司にはその後も面倒を見てもらって、そこから仕事が楽しくなりました。その時の経験があったから、今もいつも楽しくやってます。
素晴らしいご縁ですね。その工場では、その後どのくらいの期間お勤めになったのですか?



いろいろあって、一度会社を辞めてから、また同じ工場に戻って、トータル3年間くらい働いてました。その後、退職して、24歳くらいまではバイトを掛け持ちしてましたね。



その頃は電気代も払えなくて家に帰ったら真っ暗とかもありました(笑)。でも、バイトも一生懸命やってました。社員だろうがバイトだろうが関係ありませんから。
若くして様々なご経験を積まれたのですね。その後のキャリアについてもお聞かせいただけますでしょうか。



バイトの1つにNTTのネット回線の営業の仕事があって、その後、営業から内勤の営業事務の仕事になりました。それで、入って半年くらいで正社員にしてもらったんですが…



その直後に、社員さんが急に辞めちゃって、いきなり1人で全部やることになったんです。受注管理とかお客様対応とか、NTTさんとのやり取りとか。でもここでの経験が今の仕事にも活かされています。
責任あるお仕事を任される中で、今のビジネスにも繋がる貴重なご経験をされたのですね。



とくに、当時のマネージャーの存在が大きかったですね。そのマネージャーがいなかったら今の私はないです。パソコンも使ったことなかった私に、好きな有名人を検索するところから教えてくれて。自分で調べてできるようになるやり方を教えてくれたんです。『インターネットはこんな感じで使うんだよ』って。何か新しいことをやろうとすると『いいね、やろう。やってみなよ』っていつも背中を押してくれました。



インターネットの設定業務なんかも、そのマネージャーに聞きながら自分でやってみたら、新しい仕事として受注できるようになって、新しい会社の1つの収益源になりました。
高橋社長にとってのメンターのような存在でいらっしゃったのですね。



本当にそうですね、恩人だと思っています。それで、入社後しばらくして、営業所の売上が足りなくて、営業所がなくなるかもって話が出たときがありました。その時に『仕事なくなりたくないです』ってマネージャーに泣きつきました。そしたら県外から営業さんをたくさん呼んできてくれて、なんとか乗り切れたんです。
危機的状況を経験されたんですね。乗り越えられたマネージャーもすごいです。



そうなんです。それで、その時、会社って売上がないと潰れるんだって初めて実感して。営業の受注率とか開通率を上げるために、いろんな角度から考えて仕事するようになりましたね。
そこで高橋社長の仕事観や姿勢がつくられたんですね。その会社には、どのくらいの期間いらっしゃったのでしょうか。



30歳くらいの時に、NTTさんの業務終了で営業所がなくなっちゃって…広島に来ないかって誘われたんですけど、家庭の事情や、給料も下がる可能性があったんで断りました。他の人もみんなも辞めちゃいましたね。
そこから、どのようにしてご自身の道を切り拓いていかれたのでしょうか。



就職活動もしたんですけど、前の会社と同じくらいもらえるところがなくて…個人で通信環境の設定業務をはじめました。めちゃくちゃ頑張って、月70万くらい稼いだ時もあって、とにかく『やります!』って言ってなんでもやりました。
月70万円とは、素晴らしい実績ですね。そこから、さらに事業を拡大されていったのですか?



そうなんです。NTTから岡山のドコモショップでドコモ光を推進する業務を提案されました。それで岡山に移り住んで、仕事をはじめました。初月で100件くらい取って、その店舗、全国で伸び率4位とかになりましたよ。中国地方のコンテストでも1位になりました。それから人も増やして育てた人材もコンテストで上位に入りました。
まさに破竹の勢いですね。そのドコモ関連のお仕事は、どのくらいの期間続けられたのでしょうか。



5年くらい続けて、2020年にNTTさんと直接契約するために法人化したのが、ONE.BRIDGE株式会社です。その頃は社員が4、5人いて色々な仕事をしていました。ドコモショップの仕事以外にも、ラウンダーとか、ガスの切り替えとかD払いとか、LINE集客ツールとか、色々やってましたね。
事業を多角的に展開されていたのですね。非常に順調に成長されているように拝見できます。



それがそうでもなくて、2023年の3月でドコモの仕事がなくなっちゃって。そっからもう…売り上げが落ち込んで、本当に死のうかと思うほど苦しい時期がありました。会社も個人も借金だらけで。社員も辞めていって…しんどかったですね。
そのような大きな困難に直面されていたとは…。現在メインのアンテナ工事の事業は、その頃に始められたのですか?



2023年の夏くらいからアンテナに興味があって。会社の状況的にも、これはもうやるしかない!と思って、10月に会社に1人だけ社員を残して自分で研修に行きました。そこで「これはいけるな」って確信しました。
そこからアンテナ事業をスタートされたんですね。現在では全国にパートナー様を拡大されていると伺っております。



はい。以前の通信時代の取引先やご紹介で東海、広島、岡山、関東、大阪とパートナーさんを増やしてきました。皆さん今の仕事だけだと将来の不安もあったり、新規事業をしたいという方もいらっしゃって、パートナーさんになっていただいています。



今はこの仕事をしかっりとカタチにして自社もパートナーさんにも儲けていただけるようにしたいです。それには体力勝負ですね。まずは自分が限界まで働きます。
ご苦労も多いかと存じますが、そのバイタリティには本当に感服します。最後に、今後の展望がございましたらお願いいたします。



まずは自分たちが安定的に収益を出し続けられること、そこが止まっては何もできませんから。その上で、パートナーさんにもそれ以上にしっかりと事業を構築し、収益を出し続けていただくこと。



工事のお仕事は緊急性があり、お困りのお客様が多くいらっしゃいます。そのお困りを解決することで、お客様に喜んでいただき、パートナーさんに喜んでいただき、そして我々も喜べる。そんな会社を目指して頑張ります。
